【樋口久子プロ】元祖女子プロゴルファー第1期生!メジャーを制した「世界のチャコ」

樋口久子プロは1945年生まれで、1970年代に最も活躍したプロゴルファーです。

1977年に全米女子プロゴルフ選手権に優勝。

2019年全英女子オープンで渋野日向子プロが優勝するまで42年間、メジャー選手権優勝者は樋口久子プロただ一人でした。

 

岡本綾子プロは、全米女子ゴルフツアー選手権、1987年の年間賞金チャンピオンに輝いてもメジャーチャンピオンにはなれませんでした。

宮里藍プロは、世界ランキング制度が始まっていましたので、世界ランキング1位、世界賞金ランキング2位に輝いたのですが、メジャーチャンピオンにはなれませんでした。

 

1996年からは日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)会長として14年もの長期にわたって、女子プロゴルフ界の組織改革を行いました。

現在はJLPGA相談役、ゴルフトーナメント中継の解説として活躍しています。どのようなプロゴルファーだったのか、詳しく解説します。

下積み生活から輝かしい「世界のチャコ」に成長した経歴

樋口久子プロは、ちょうど太平洋戦争終戦の1945年生まれ、埼玉県川越市出身のプロゴルファーです。

ゴルフに目覚めたのは高校時代で、実姉が務めていた東急砧ゴルフ場所属の中村寅吉プロと出会ったことがきっかけでした。

中村寅吉は戦後のゴルフ界を盛り上げた「日本プロゴルフ殿堂」入りしているプロゴルファーです。

樋口久子プロは高校卒業後、川越カントリークラブで練習場のスタッフとして勤務しながら、中村寅吉プロの門下生となりゴルフ練習に励みました。

 

中村寅吉プロは女子ゴルフの基礎を作るのにも尽力しており、1967年に日本女子プロゴルフ協会(LPGA)の前身となる日本プロゴルフ協会(PGA)の女子部を創立したのは彼です。

同時に、樋口久子は女子プロテストを受けて、プロ第1期生として登録します。元祖女子プロゴルファーです。

 

第1期女子プロテストに合格した翌年の1968年、樋口久子プロは、メジャー大会である日本女子プロゴルフ選手権大会、TBS女子オープン選手権(現在の日本女子オープン選手権)で優勝します。

そして、日本女子プロでは1974年まで7年連覇、現・日本女子オープンでは1971年まで4年連覇し、女子プロゴルファーの先駆者となりました。

 

また、1970年から海外にも参戦し、1977年には全米女子プロゴルフ選手権にも優勝。これはアジア人として初めてのメジャー制覇で、海外にその名を知らしめました。

2003年に日本人初の世界ゴルフ殿堂入りとなっていますが、その登録には「チャコ」の愛称も紹介されています。世界の「チャコ」の記憶です。

 

樋口久子プロは50歳で現役を引退し、1996年から日本女子プロゴルフ協会の会長として14年間(1996~2010年)務め上げ、現在は相談役となっています。

1強と言って良い1970年代が全盛期

樋口久子プロの通算優勝回数は、女子プロゴルファーの中でもダントツの69回で、不動裕理(50回)や岡本綾子(44回)より多いです。

女子プロのトーナメントが少なかった時代の記録です。

 

同一トーナメント連続優勝回数の記録は、先述の、日本女子プロゴルフ選手権大会7年連覇、日本女子オープン選手権(1968~1970年はTBS女子オープン)4年連覇のほか、JGP女子オープンでも1970~1973まで4年連覇があります。

 

同一トーナメント最多優勝回数の記録もあります。

日本女子プロでは、先述の7連覇のほか1976と1977の2連覇を加えると9回の優勝回数。日本女子オープンでは、先述の4連覇のほか、1974年,1976年,1977年,1980年に優勝し、8回の優勝回数。

さらに、東海クラシックでは、1971~1973年に3連覇、1975~1977年に3連覇、1980年の優勝を加えると優勝回数は7回となっています。

 

1970年代は、樋口久子プロの時代といってもいいほどの全盛期でした。

中村寅吉プロに見出されたオールマイティーな才能が苦労して花開いた

中村寅吉プロの厳しい特訓をくぐり抜けて女子プロテストに合格し、女子プロゴルファーの先駆者として世界に名をとどろかせたわけですから、強かったのは当然です。

それでも日本では当時、現在のようにプロゴルファー、特にツアープロは多くなく、ライバルが少なかったため、国内で多くの記録を樹立できたことはあったでしょう。

因みに、2020年の女子ゴルファーのプロテスト合格者は550名ほど、樋口久子プロが合格した1967年の合格者は26名でした。

 

しかし、樋口久子プロは、日本より女子プロゴルファーの層が厚いヨーロッパなどやアメリカに遠征もしています。

アメリカに渡る前には、1974年オーストラリアのウィルズ・オーストラリアン・レディースオープンで優勝、1976年イギリスのコルゲート・ヨーロピアン女子オープンで優勝します。

そして、1977年全米女子プロゴルフ選手権に優勝するわけですが、やはりツアープロとしての正確な技術、そしてアウェイであっても優勝できる強靭な精神力の持ち主であったからでしょう。

 

また、海外遠征の中で、海外選手の飛距離に負けないため独自のスイングを編み出します。

それが「スウェー(swey)打法」です。

当時のスイング理論は、頭は絶対動かさず、身体の軸がぶれないようにしてスイングすることが良しとされていました。

それに対して樋口久子プロの「スウェー打法」は身体の軸が左右に動くため、珍しかったのです。

そのため、優勝するまでは「あれではうまくいかない」と揶揄されましたが、優勝してみると「機械のように正確なショット」とメディアに報じられたのです。

 

プレー、道具、営業、組織管理、派閥争いなど、どの様な方面にも能力を発揮できるオールマイティーな才能を持ち、ゴルフに対する飽くなき挑戦が、樋口久子プロを強くしていったのでしょう。

女子プロゴルフツアーの改革者

樋口久子プロは、1977年に全米女子プロゴルフ選手権、つまり海外メジャー大会で優勝しました。

そして2019年になって、日本の渋野日向子プロが全英女子オープンに優勝しましたが、この日本人の海外メジャー大会優勝は、実に42年ぶりのことだったのです。(因みにメジャー大会ではありませんが、2013年全米シニアプロ選手権に井戸木鴻樹プロが初参戦で優勝しています。)

そして、2021年に、松山英樹プロが最高峰のメジャータイトルである「マスターズ」を、初出場から10年で勝ち獲りました。

なかなか優勝できない海外メジャー大会なのですから、樋口久子プロの功績は伝説といっても過言はないでしょう。

 

また、樋口久子プロの伝説と言いますか功績として特筆すべきは、競技者としてだけでなく、日本女子プロゴルフ界の改革を行ったことでしょう。

1967年日本プロゴルフ協会(PGA)の女子部として始まった日本女子プロゴルフ協会。創立者の中村寅吉会長のあと、1974年にPGAから独立して、正式な会長として5期にわたって君臨した二瓶綾子会長に反旗を翻した若手プロによる交代劇があり、その後もツアープロとレッスンプロとの軋轢などを繰り返して会長選では波乱の連続でした。

 

この頃、男子ツアーでも倉本昌弘会長が大変苦労したように、この当時のPGA組織そのものの利権を追求する体質で、レッスンプロたちの発言権が強かったのです。

ツアープロは「表看板」として利用される体質がありました。そのため、男女ともツアープロたちが自分たちの立場を尊重せよとの意思表明が相次いだのでした。

 

レッスンプロに権限が渡っていた中、トーナメントのスポンサーの早期撤退事件を受けて、ツアープロがもっと発言権を持つべきという流れに変わり、1996年樋口久子会長が誕生しました。

 

就任した時期はちょうどバブル経済崩壊の時期で、試合数確保やギャラリー動員が上手くいきませんでしたが、樋口久子プロはそれを景気だけのせいにすることなく、ツアープロの意識改革やゴルフファンのすそ野の拡大に努めました。

ツアープロの意識改革のために教育制度も設け、プロテスト合格から2年間は新人教育を受けることになっています。

それまで、スポンサーの巨額な投資があるからこそ試合が開催でき、そこに出場して賞金を獲得できていたことさえ理解できていないプロが存在していましたが、そのようなスポンサーに加えてわざわざ会場に足を運んで応援してくれるファンがあるからこそツアープロという仕事が成り立っているのだということなどを教えています。

昔と比べて社会でもまれながら育つプロは少なく、幼少から親元でゴルフにだけ専念するため社会経験が少ないためなのでしょう。

しかし、その教育制度が功を奏して、現在、日本女子ゴルフツアーは活況を呈しています。

 

2000年代に入ると、宮里藍プロなどの若手人気プロゴルファーらを輩出できるようになり、日本女子ゴルフの人気は復調するどころか、男子ゴルフよりも人気を博すようになりました。

特徴ある「スウェー打法」

前述したように、樋口久子プロのスイングの特徴は、なんといっても彼女が独自に編み出した「スウェー打法」です。

軸を固定して打つスイングが主流だった時代に、左右に思い切り揺さぶって打つスイングはとても注目されました。

それは、樋口久子プロが海外遠征をして、海外選手との体格の差、腕力の差などを痛感したからです。

そして、小さな体、非力な腕で飛距離を伸ばすために編み出したスイングなのです。

 

また、海外選手の体重も比較になりませんでした。つまり、安定感が違いすぎるのです。

そのため、樋口久子プロは脚を鍛えて、安定感を補いました。

 

この「スウェー打法」が編み出されたのは、当時の日本女性の体力で、パーシモンにスチールシャフトの、軽いものでも43インチ350kg以上はあるドライバーを振らねばならなかったこともあります。

現在のドライバーは、軽いチタンヘッドにグラファイト(カーボン)シャフトで出来ており、男子プロでも320gからあります。

男子アマチュアで300gが標準、女子アマチュアでは240gぐらいからあり、当時の350gのドライバーを振ることは男子でも出来ません。

 

私は350g以上のドライバーから入ったアマチュアです。

若い時にはそれでも十分振れたのですが、320g以下のドライバーを振り慣れると、もう350gではとても自分のスイングは出来ません。

そこで重いクラブを振らなければならない時、「女の子スイング」と自分で名付けたスイングをします。

それが樋口久子プロの「スウェー打法」に近い振り方です。

 

さらに、フェアウェイウッドもパーシモンヘッドでした。小さく高重心です。

ドライバーでヘッドスピードが45m/s以上ないとボールがまともに上がりません。

さらに、当時は3番アイアンから使わなければなりません。

ユーティリティなどない時代です。

アマチュアで道具に見識のある人は5番ウッドなどを用意したものです。

 

そんな道具の条件下で、当時の日本人女性が筋力トレーニングもままならないのです。

下積み生活をしながら練習していくのに、中村寅吉プロの門下生となれたことが樋口久子プロの幸運であったのです。

中村寅吉プロに可愛がられ育てられて、自分自身で強い意志を持って編み出したのが「スウェー打法」、私の「女の子スイング」です。

 

皆さんも重いクラブを振らなければならない時、試してみると道具とスイングの関係が分かってきます。

また、便利になったとはいえ、アマチュアは道具を自由に作ることが出来ません。

今ある道具でなければならないとしたら、「道具にスイングを合わせる」ことを覚えてください。

道具とスイングの関係はまたの機会にお話しします。

プロに徹したサービス精神満点のプレースタイル

樋口久子プロは、「試合中はスコアボードを見ない」ことに誓いを立てていました。

それは、最終組を回っていた試合でスコアボードを見てしまい、それを意識しすぎて自滅して勝てなかった経験があったからです。

スコアボードを見ないことで平常心を保つというプレースタイルでした。

 

また、ツアープロとして後進のプロたちの手本となるような考え方の持ち主でもあります。

例えば、ツアープロは自分が優勝したいがためにプロアマの試合を軽視して、スポンサーの目の前で自分の練習を優先してしまうことがありました。

それを樋口久子プロは、「スポンサーがあってこそのトーナメント。

プロアマの試合の時に同伴者をそっちのけにして練習しないように」と言って、プロアマの日の指定練習日を廃止しました。

また、アマチュアゴルファーが出場できる条件を緩和し、推薦がなくても試合に臨めるように改善し、ゴルファーの門戸を広げる制度を作りました。

こういった競技者以外のいわばプレースタイルでも一貫したものがあり、それは女子プロツアー運営の活況を呈することで成果を挙げています。

ツアープロゴルファー樋口久子 プロの中のプロ

現役でプレーしている時も、引退してJPGA会長としても、「プロ」としての心構えに徹した人物像が見えています。

彼女が活躍し始めた時代、練習場に出かけても女性を見かけることはありませんでした。

子供であった私も練習場で注目を集め、そのスイングについて周りの人があれこれ議論するような時代です。

 

「スウェー打法」を編み出し、道具の壁を乗り越え、JLPGA会長として「プロツアー」を後輩たちに教えてきた努力は並々ならぬ世界でありましょう。

 

苦しい下積みを乗り越え、「腕一本」で実績を積み上げ、世界の「チャコ」になったのも、現在のシステムが整った中で世界へ挑戦するのとは全く違う次元でした。

先駆者として伝説となる人物であります。

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